なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?|ピカソから学ぶSNSのその先
Bonjour. C'est moi. (ボンジュール。セモア。)
クラシーです。
人が生きるのに間違いなく、関わってくるのがお金。
一般的な人であれば、会社に勤め自分の労働を商品とし、その対価として給料というお金をもらう。
マルクスの資本主義論で考察された内容が、本書『 なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』では使用されていた。
本書では、ピカソやゴッホについてほぼ語られていない。ピカソはお金の本質を理解していたということのみであった。
では、なぜ、作者はこのタイトルを使ったのか。
本書の情報をまとめながら、ここに考察していく。
信用がお金に変わる
ここでのキーワードは、「徳」「繋がり」「価値」である。
ピカソはこの3つを理解していたために、金銭的に成功していたように思える。
徳を積むこと
道徳の「徳」は、日本の教育では触れない。
道徳の「道」、つまり、どうあるべきかばかりを、洗脳に近いまでに教え込まれるのである。
この本書では、「徳」という言葉を現代風に信用として、提示しているように思えた。
「徳」とは、
「人にGiveしなさい。そうすれば、人にGiveされる。 Win-winの関係こそが望ましい。」
と現代語訳できる。
繋がりの影響
ここで出てくるのがインターネットの発達という言葉だ。
本書ではこの言葉が重要となっている。
インターネットの発達により、一般の人でも見える情報量が圧倒的に増えた。何をするにしても、googleが、yahooが教えてくれる。
ここで述べている信頼という言葉にフォーカスを戻そう。
信頼はSNSの発達により、フォロワー、いいね、という数字で可視化された。
ピカソが生存していた時代では、インターネットが普及されていなかった。その時に使われた言葉は、「人脈」「繋がり」といったよりFace to Faceであるリアルな社会での関係性だった。
個人も価値を生む
SNSの発達により、情報が増えたため、世界の区分の仕方が3つに別れた。
「国」→「企業」→「個人」
というように、より小規模に細分化された。
個人のイメージでさえ、信用やお金といった要因によって形成されかねない。
逆を言えば、個人での努力を知ってもらえやすくなった。
SNSの発展により、現代では個人の「ブランディング」が重要となってきている。つまり、個人でさえ、キャラクターを作り、独自性を求め、信頼を高める必要がある。
本書ではこの流れを、「個人が上場する」という表現を使っている。
<主観的考察>
ここで僕は不思議な疑問が浮かび上がった。
「人格の再定義」が起こるのではないか。
ブランディングによるキャラクターはいい点のみを示す傾向がある。人々が求める、想像しやすい、理想、となる。
しかし、その生き方はまるで、他者のための人生ではないだろうか。人に肯定されるためだけに生きているように思えてしまった。
二重人格をSNSとリアルで作ってしまえばいい。と言えばそれまでだが、そのような単純な問題に思えない。
どちらの人格が本当の自分であっても、少なからず、両方向から影響は受ける。
つまり。この先、SNSが発達していくにあたり、自分がどう生きたいのかという定義を持つべきなのである。
僕の場合は、「自分のために生きる」という教訓があるため、SNSが主ではなく、リアルの社会でのイメージが主である。
曲げることがない自分のSNSに対する信念を持たなければ、SNSによって形成される人格に飲み込まれてしまうのではないだろうか。
物語がお金に変わる
おまけの話が少し長くなってしまったが、ピカソの話に戻そう。
ピカソは絵画を売る時に、自分がどのような物語を持った上で、どのように作り上げたかを語った。
有名な例として、カフェの店員に頼まれ、数秒で絵を描き上げた。
その絵には 人生という物語+絵を描く手間暇 という計40年以上の時間が注ぎ込まれていると言った。
つまり物語にはお金が発生する。
透明化
やはり、ここでも重要になってくるのがインターネットである。
情報が見やすくなったのだ。
ピカソの場合、買い手に作品の物語を見やすくするために、直接語った。
少し、いやらしいように見えるかもしれないが、本質を捉えている。
現代でも透明化は進んでいる。
一昔前に流行った、食品の情報を打ち込むと、作った人の顔や飼育方法などが乗っているサイトに飛ぶものであった。
ピカソは透明化を、アートにおいて同じことを行ったのである。
近しい分野であれば、アイドルがいかに成長するかを、インターネットを通じ見ることができる。
成長を応援することで、ファンとの距離感が近くなり、より熱狂的にしてしまう。
その心理を上手く利用した例が現代アイドルのパイオニアである、AKB48である。
会いに行けるアイドル。
まさしく、過程が透明化されており、より熱烈なファンが増えたのである。
全てがお金に変わる
価値を測る
お金=数字 である。
値段をつけるということは、価値をお金に変えている。値段が付けられる物は全て、別の商品と比較可能である。
つまり、お金は価値を測るための物差しである。
本書では、価値をお金に変えることを、
お金の暴力
という言葉で表している。
世の中には、価値の物差しでは、測れない。測ろうとしてはいけない。というものが存在する。
値段をつけられるかは倫理という言葉で判断されている。
ただ倫理という言葉は、抽象的であるため、最近ではインターネット、化学の発達により、境界線が見えづらくなっているように思える。
人体でさえ、角膜3万ドル、肝臓13万ドル。心臓15万ドル。
その他にも、裏口入学500万円。月の土地3000円から。別れさせ屋150万円。出会い工作30万円。
心はお金では変えられない。とは言っているが、その境界線ですら曖昧になる日がくるかもしれない。
逆もある
ただ、逆に、価値をお金に通さず、お金が短縮される時代の流れもある。
本書では、FaceBookを通じて、物々交換ができるような仕組みを筆者は作ったと述べている。
お金で溢れ過ぎている社会で、価値同士を交換することには間違いなく有用である。
わかりやすい例としては、投資である。
お金以外の方法で投資し、お金以外の方法で見返りをもらうことである。
テクノロジーの発達の中で、以外にアナログな方法にもフォーカスが集まっている。
まとめ
この本書、『 なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』では、様々な筆者の経験談を元に、教訓を述べている。
ただ、僕が想像していた、ピカソの成功方法についてはほとんど触れられていない。内容として考え込めば、面白い内容であるが、ただ読むだけであれば、つまらない自慢話のように聞こえてしまう。
筆者がこの経験を使って何を伝えたいのか。というのを理解する必要がある。
教訓は面白かったけど、本自体はトータルで見るとあまり評価は高いようには思えないです。賛否両論別れる内容ですね。
一度読んでみたいという方は、アマゾンのURLを載っけているので、みてみてください。
ということで、みなさん、Ciao!!